権力と詩

おおよそ詩聖と呼ばれる人間は放浪漂泊をもってその名を
知られる。古は李白、今代においてはランボオ、本朝に
おいても芭蕉翁などは漂泊の俳聖であられる。そのような
界において盛をきわめおおいに権を振るった者は数少ない。
とはいえ定家公が編された小倉百人一首は一に天智の帝
百に順徳の帝といった具合におおいに本朝において帝の
詩才満ちるは今代に至るまでまったく変わることがないが
帝が位に居られるのは聖統によるものであり個の軍才政才
ではない、それを鑑みればまこと詩の才と栄華とは実に
切り離されたものである。しかし数千年にわたる世界の
大史においてかつて生きていた者はそれこそ釈尊の手で
もってしても数え切れぬほどいるのであるからには例から
漏れる者もあることは当然の道理である。これを考えるに
孟徳公と貞山公の二類をもって考えようと思う。


かの唐土の英雄たる曹操孟徳公は詩人の才でもって知られ
数多くの詩を残し、唐土から中華と名を変えたかの国では
いまや英雄というよりは詩人としての評が高い。同時代に
対抗できた詩人は豆を煮るに豆殻を用いるの故事でもって
知られる息子の曹植のみであるという。
これを司馬遼太郎は評して曰く曹操の如き類の日本人は
独眼竜でもって知られる伊達貞山公のみであるとした。
孟徳公貞山公はその規模は違えども苛烈な戦と善政
そして詩の才でもっておおいに語られる。また両者とも
乱世において奸雄として悪名を轟かせた。


両公の詩を寡才の身ながら比して語るは畏れ多いことで
あるが、傑作とよばれる貞山公の馬上少年過と孟徳公の
歩出夏門行をみるに、貞山公はすでに晩年であられることも
含めある種諦観をもただよわせる明るさがあるが、孟徳公の
詩は苦にありて楽を歌うが、例えば芭蕉翁あるいは李白翁の
ごとき聖俗をさまようが如き幽境はない。聖か俗かといえば
俗である。しかしここでもって俗情をよしとする考えを採る
わけではない。今代においては大望を大欲と見なし俗情と言う。


己に則りて善を為すが最上、己を律し
善を為すが上、己を律し悪を為すが下、己に則りて悪を為すは最も下
というが、おそらくこの文句を詩にあてはめればこうなるであろう
己に則るは上、己を律するは上、されど最上は己を律し律せざる也。
己に則りて律せらるは最下。