元亀四年、武田信玄晴信入道は西上の志半ばにして斃れ、武田 家臣は死を伏せよとの遺言を守るため入道の遺骸をして即座に 酒樽に詰め塩をし甲斐への帰路をひた進んだ。これがかの蒙古 草原の帝王たる成吉思汗の故事をもってすれば遺骸の道すがら 出会った者…
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