大妄想巨編 武田騎馬軍団VSふにふにこねこ3びき

sexyhoya_kouzou2005-05-25

 元亀四年、武田信玄晴信入道は西上の志半ばにして斃れ、武田
家臣は死を伏せよとの遺言を守るため入道の遺骸をして即座に
酒樽に詰め塩をし甲斐への帰路をひた進んだ。これがかの蒙古
草原の帝王たる成吉思汗の故事をもってすれば遺骸の道すがら
出会った者を総て殺すというふうになるのであるが狭い日本の
話であるからそのやうなことをあちこちでやらかしたら国中の
民がみな居なくなってしまう。ましてや人は堀、信玄堤の遺徳
でもって知られる入道であるからそのやうなことはやらぬので
ある。


 ましてやふにふにの猫が三匹現れたところで無駄な殺生はせず
呼び寄せてつかまえ肉球を顔に押し付けにゃぁんと嫌がるこ猫
に無理やり頬擦りをしふにふにを愉しむのが人の人たる所以で
あるので武田騎馬軍団の如き厳正綱紀を以って知られる軍が
ふにふにの猫と闘ひを交へると云うことはまず無いと素人目
には思うことである。


 しかしここに3匹の猫が居た。入道に滅ぼされた今川家は文
弱の極みとは云えそれはまた文を尊ぶと背中合わせであり、書
物番として幾匹もの猫が飼われてゐた。この三匹はその書物番
の子でいずれもふにふにであった。しかしやや新しい例になる
が鍋島騒動の例をもつてしても猫の主君へ仕える忠というもの
は侮り難きものがある。殊勝にも猫は主君の敵を討たうと考えたの
である。


 入道もまた孫子を旗印にした如く文を尊ぶ武将であつたから
この3匹を書物番として甲府へつれて帰った。たちまち猫三匹は
目論見道理にそのふにふにした肉球ところころと転がる寝姿で
並み居る屈強の将どもを骨抜きにして仕舞った。しかし入道の
息子勝頼は文などに興味を示さぬ戦馬鹿であつたから、猫三匹は
かわって馬小屋の鼠番をさせられることになつた。ああ、かわい
さうだかわいさうだといふ怨嗟の声が女どもから上がつた。寒い
厩で小さいながらぢっと寒さに耐えくしゅん くしゅんとくしゃ
みをしながらにゃあんと悲しげな上目遣いで鳴く姿がまた哀れを
そそり、結果三匹は行きがけの駄賃とばかり馬の世話をする兵ど
もも骨抜きにして仕舞った。


 しかし猫に忠勇あらば馬にも忠勇あり、馬小屋には歴戦を入道と
ともに戦い抜いた名馬がゐた。江戸で買い求めたときに蔦の手綱が
あてられてゐたから三蔦江戸といふ名前であった。この老馬は猫の
ふにふにやくしゅんにも惑わされることなく猫の武田家を骨抜きに
せんとする目的を見抜き、家を憂うこと神に至り遂に人語を発し猫
奸なりと訴えたのである。厩では馬が喋る、そんな馬鹿なとたちまち
騒動になり、勝頼へと訴へ出た。家中の動揺を気にした勝頼は、
これは物の怪の仕業であろうと断じ、忠勇むなしく三蔦江戸はすぐさま
殺されて仕舞った。からっぽになった厩で三匹ともに無邪気に戯れる
猫はますます人気を博してゐた。


 これを忍びの者より聞いた織田上総介は大いによろこんだ。忠勇
なる軍馬より余所者の猫三匹を可愛ひと思うのであれば武田家恐る
に足らずなりと、後の長篠の戦に於いて三千匹のふにふに猫を堺よりか
き集め馬防柵につなぎとめた。織田何するものぞと柵に突っ込んで
行った武田のつわものどもはにゃぁぁぁんと怯えるふにふに猫の
姿に思わず手綱を引き、つぎつぎと馬より転げ落ち織田の槍隊の
餌食となってゐき、馬場民部、真田信綱、昌輝兄弟など名だたる
武将が討たれた。この戦で武田は敗れ滅亡へと転げ落ちてゐった。
かの猫三匹はその頃すでに家出しており行方を知るものがないといふ。