sexyhoya_kouzou2005-03-18

今日は朝食の蒸しカレイがとにかく匂いが酷い
買ってから二日しか経っていないので、このまま捨てるのはもったいない
まあとりあえず焼いてみようと思い焼いてみる。
すると内臓部分が溶けたようにはがれ落ちる。
うわ本格的にヤバいかなと思い、まあとりあえず
しかたないので食ってみようと思い、実だけ食ってみる。
ああ案外無事じゃん、OKOKと思いつつ全部食う。
その後特に何もなく過ごし、まあちょっと細菌が繁殖して
いたのは事実かもしれないが、特に問題はなかったのだな
と思って一日を終えようとしたところで異変。トイレに
行きたくなった、無論小だ、しかし小便が恐ろしく臭い。
文字通り魚の腐ったような匂いである。うわぁと思う。
どうやらすべて胃液で殺菌してしまったらしいが
どうあがいても匂いだけは消えなかったようだ。

*


つまりはこうだ、神がアダムとイブに知恵の果実たる林檎を食べるな、と宣告した時点で
禁止するもしくは禁忌させるという行為は、知恵の果実林檎を食べていない以上裸すら
恥ずかしいと思わぬこれら原初の野蛮人においてはまったく無意味であることは明白
である。その前提があって神は何ゆえに彼らに対し、そのようなことを命じたのか
つまりはこうだ。人間の根幹にあるものはつまり神への畏れ、いわば不安や恐怖であると
神学者たちは結論付けざるを得なかった。知恵の果実を食べるのを禁じたのは
つまりは知性が神への畏れあるいは恐怖を除く可能性があるのだ、と神が判断
したからであり、純然たる信仰は知性によって否定されるであろう
ことが予言されていることに気付いた神学者たちは、恐れ慄いて考えをめぐらせた
純然たる信仰を保つにはどのようにすればよいか。聖書を高所に置き常に隠蔽すべきである
いや、むしろ徹底した解釈を我々の手によって施し、人々の信仰を決して失わせしめる
ことのないようにすべきである、いやあるいは知そのものを蛇の誘惑と位置づけて
邪悪とすべきである、むしろ聖書を書き直してしまおう、などさまざまな意見が飛び交っ
た。しかしある僧はこう言って彼ら神学者の考えをたしなめた。奇跡、聖性とはつまりは
矛盾そのものであると彼は言った。基督が復活ののち昇天しようとしたとき、誰が天と
地を分けたことを論拠としてキリストの業を否定することがあろうか。絶対なる
神によって神が絶対のものとして定めた天理はあっさりと破られたのである。
しかしそれが何故かという問いに対して智慧の塊たちは黙った。約束というひとつの
宗教的解釈も神が定めた摂理に矛盾するものであってはならず、むしろそれを
強化するものであったはずであったからである。つまりは絶対なる
神はすでに絶対を脱ぎ去り自殺していたのである。この期に及び天理の
及びきったことそれ自体を神の業と見なしていた彼らは深い煩悶へ陥り
神の御心は我らの考えるに及ばぬ場所にある、もしくは奇跡そのものを
否定し天理にもとる行為として貶めるにいたった。このようにして奇跡とはもっとも
待望されるにも関わらずもっとも行われることがなくなってしまい、そこに
増えよ、地に満ちよと増殖していったのは不安であり恐怖であり、なぜか天理とは
離れた神の亡霊を畏れつづけるという祭典が、神学者の指揮のもと行われるように
なった。我らは野蛮であり、世界は常に高貴たるものだ、ということを延々と示し続け
るためである。

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