危険な曲がり角

危険な曲がり角、という1958年のマルセルカルネ監督作品はフランス製
青春映画の超名作である。若き日のジャンポールベルモンドが出ていた
らしいんだが正直どこにいるのかもわからなかった。ネタバレになるが
特筆すべきはラストシーンで、オープニングで主人公たちがキャハキャハ
はしゃいでた構図と同じ構図で主人公よりさらに若い奴らにキャハキャハと
騒がせるシーンを置くことで、ああ青春はもうこいつらのものじゃなくて
もっと若いやつらのものなんだな、ということを痛感させるのである。
青春映画の中で青春の終焉というのを描くのはまあデフォルトといえば
デフォルトなんだが、主人公が青春終わっても他の奴が青春やってん
だなという表現は若い奴にはビシバシとボディブローを食らわされたような
感触を抱くことしきりで、年食った層にはある種の達観を思わせるので
ある。このシーンはそのあまりの効果ゆえに何度パクられたかわからず、日本
でも小さなスナックという藤岡弘が主人公を演じる妙に暑苦しいオシャレ
加減が漂う青春映画でも似たようなシーンが登場する。


さて何が言いたいかというと青春が終わったとかそういうことでなく
固定視点で時系列吹っ飛ばしてというカメラワークは実は俺は結構
好きで、ホリーズのプロモのバスストップ劇場、まあつまりは主人公
彼女と停留所で出会いました、結婚して仕事にいくとき彼女がおんなじ
バス停までお見送りします、ほんでもって子供ができて学校にも
お見送りします。子供がでっかくなって停留所で好きな人と出会って
孫を迎えに行くおじいちゃんおばあちゃんになった主人公及び彼女
しまいに主人公が大勢に見送られながら棺おけでバス停の前を通る
とかそういう人生模様をスポットライトだけあてたような感じの
表現はもう狙いすぎてビシバシという感じだが超客観視点で普通の
人生というものの哀愁をかみしめさせるというのはすさまじく効果的
だ。とりあえずスポットライトだけ見ていれば人間というものに
対してかぎりなく哀愁と愛情を感じることしきりなのだが、視点と
いうのはつくづく偉大だ。何を見るか見ないか。