へのころ 2005年12月8日16時43分から2006年11月23日2時11分まで

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[批評・散文・エッセイ]健康と性欲〜吐き出しては飲み込む自然の大摂理/へのころ[2005年12月8日16時43分]

昨日のことだったんだが、あまりに肩こりが酷いのでおちつかなかったの
でゆうゆうとマスをかいたんだな。ところがそれですっきりして、肩こり
はあっさりと治った。汗にしろ尿にしろ体から出すものというのは毒だと
おもっているので精液を出すということは猛毒を出すということなんだ。
まあ日常的にマスを一ヶ月に数十回はかくという人間もいるがそれはいけない。
毒と一緒に精力まで抜け落ちてしまうから髪にもよくないということ
なんだ。中国に房中術というのがあるがこいつは精液を出そう出そうと
いう一歩手前で止めるんだ。それでもって精液を溜めにためて女に
ぶちまけないわけだ。ところが女のほうは別に出したもので困ったもの
ではないというものをどろどろとだすわけだからもう中国の民話によると
こいつが黄河になったというんだな。しかしマスをかくというのも精神力
がいる。実際わたしなどはすでにかきなれているわけだからなかなか
達するものではない、そこでああよし、ああよし、うむよしと念じる
わけだ。ひとつかくごとによしよしと頭に念じていると非常によい、ああ
よしが溜まっていくんだ。そこで長く時間をかければかけるほどいいマス
がかける。いいマスがかけたときの充実感といったらないな。それとこれ
は聞いた話なのだが、江戸時代というのはピストン運動というのがなかっ
た。どうやるかといえばもう手当たり次第に女をいじくってからつっこむ
わけだ。そうすると女のあそこのほうで勝手にしめつけたり弱めたり
してくれるということなんだな。それでもピストン運動よりは時間がかか
るが逆をいってしまえば、理論的に一生でもたのしめるというわけだ。
それにくわえて当時は芋やら野菜やらを食っていて肉など滅多に食べるも
のではない、卵にしても相当高いという時代であるから、この精液を無駄
遣いしないという心得には非常に感じ入るものがあるわけだ。やろうとお
もえば老人でさえ、脂ののった三十代女を五時間は相手にできるとわたし
は考えている。

しかし現代だから、わたしなぞは一日に納豆を三パックは食うんだ。
納豆にオクラにサトイモとねばっこいものは体に悪いわけはない。
行為の前には牛乳も大抵一本飲んでおく。考えてみれば乳も精液も
放出するものということには変わりがないからな。中世のイタリアの
科学者の一人はミルクと精液が似ているということから精液を飲んで
また精液を出すという永久機関のようなものを考えたらしいんだな。
実際精液に似ているものは精液を出す材料になるというのがわたしの
考えだ。理屈を言ったらキリがないがそう思っている。

ちなみにいままでで一番よかったのがニューヨークで買った黒人女だが、こいつは太ってでっかかったね
。とりあえずわたしは一通り世界を女で一周してやろうと思っていたので、ニューヨークに
いたときは女をいろいろ漁り捲ったが、1に黒人2にラテン、3,4がなくて5にロシアと
いった具合だな。締りとかそういうんじゃなくてとにかく情が厚いんだ。それでもって
日本男児であるからには代表として突っ込むときにも頑張らなくてはという気もあった。
おれは旧中学時代に蜂の毒がいちもつを大きくするという話をきいていたんだ。
始皇帝など壷の中に蜂をいれていちもつをつっこむのが日課だったということらしいという
ことをな。でおれはそいつを試したんだな。数日寝込んだが見事なものに仕上った。
でこいつを見せたとたんにブラック女が「すごいわ、マウントフジよ」と叫ぶわけだな。
そいでこちらもよしやってやるかという具合になってこっちもがんばって、ああよし、
ううよし、これでよし、さあよしとばかりに念じて念じていくとそれが女にも伝わるんだな
女のほうで、ああいい、うういい、これもいいとなる。そのブラック女の場合はオウイエス
イッツグレイト アイムカミンとかそういう具合だ。

また女のほうはやりかたが違うらしいんだな。つっこまれたときにはぁと息を吐いてて
ぐいとつっこんだものでいじくったときにすぅと息をすう、こうすると括約筋といって
肛門の筋肉だがこいつが女のあそこを司ってるわけだが、吐くときに緩まって、吸う時
にしまるそうだ男はいれやすいし女も筋肉がちょうど逆流してるときにずいとつっこまれる
わけで具合がいい、ピストンで動くときはこのはぁとああよしがちょうど重なるように
動くわけだ、そうするとああよし、ああいいわ、ううよし、うんいいわという具合に
両方が楽しめるわけだ。まあそううまくいくことではないがね。

一番ひどいのが痩せた美人だな。こいつはいけない。締まりも悪いし
情もない、つれない、ないないないのないづくしだ。
マグロのヅケみたいなビラビラをさも大トロのように隠しているが
食わされるほうとしちゃたまったもんじゃないね。それにインテリ女
インテリ女などはさも興味ない振りをしておきながら、ねばっこくひかる
いちもつをみせてやれば文字通り目が光ってくるというわけだ。
そういう女をいじくっていじくりたおして屈服させてやるとあっさりと
男のいいなりになるから不思議なものだ。

行為のあとも酒は飲まない、二回目ということはいつあるかわからないからな。
たいていトマトジュースか茶、それにカルピス、こいつは欠かせない。

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[自由詩](ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)/へのころ[2005年12月12日4時52分]

(ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)
 こ  ん  に  ち  は  へ  の  こ  ろ  ち ゃ  ん
ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆

三人がかりで、三人がかりで          ( ☣ฺ_ゝ☣ฺ)←エミちゃん
口をむりやりこじあける             こ     (´ー`)ノ←ぼく
耳元で叫んでやる                 ん    が
愛してるぜくそったれぼけあばずれ!         に    ん
流行歌を歌え!                  ち    ば
机を蹴り飛ばす                   は    ろ
三人がかりで口をこじあけたところに          わ    う
おれの、おれの愛情をずかんずかんとぶちこむ       た    
泣き叫んだところで、うああああ              し    
列車砲ドカンドカンドカン                エ     い(;*)←吉田
建築物損壊!破壊!大破!               ミ       や
ちくしょうばかにしやがって               (ΦζΦ)←怪人  だ
さわれ!おれをさわれ!                 ル  う は  ナ
こいつは見ているんだから               ン  わ   は  ァ
俺を見るなといったんだ第一こういった          ル  ぁ は
事態についてはマッタク沈チン鬱鬱と            ン
しているというのにナア                   ラ   お五
五万、いや四万の俺の細胞がこいつのせいでこいつのせいで    ン   こ目
ぶっこわされたからライターにタバコで火をつけて       ラ   わ
あああ燃える!ローマが燃えている!            ン     たべた
                                      い
ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆
(ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)うるせー
   ↑見るな!     (ΦζΦ)うるせー
        (ΦζΦ)うるせー    (ΦζΦ)うるせー
    こんにちは(´ー`)ノ ◎  ヽ(´ー`)こんにちは
   リドランフの聖珠 →  ◎         
   スオペー空間力を    ◎        
   5倍にぞうふくさせる  ◎    ヽ(´ー(ิД^ิ))ノぼくは王子様だったんだよ
  (ΦζΦ)バシ
     ( ◔ิД◔ิ)おれがやっつけたんだ        ☆(*’ヮ’)☆キャー♪
ぼくはすてきなくちぶえをもていたけど
魔女にとられてしまったんだ。そうなの、
じゃあそのくちぶえをとりもどすには     (●)  ウガー
どうしたらいいのと皇女さまがきいたので(●)    (●●) ←宇宙聖人ダイマゴン
ぼくはこうこたえました、キスさえして     ∀
くれればそれで十分なのさ。こうしてぼくは皇女さまのくちぶえをうばってころした

ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆ё☆
さ  よ  う  な  ら  へ  の  こ  ろ  ち  ゃ  ん
ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)(ΦζΦ)ΦζΦ)
(ΦζΦ)
(ΦζΦ)

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[批評・散文・エッセイ]スーパースター/へのころ[2006年1月7日20時33分]

カジュアルなポエムとやらが無印やらベネトンやらを喜んで着る人間
あるいはメンズノンノのチェックを欠かさない人間によってつくられ
エルビスコステロサウンドをぱくりながら秩序のない現代にドロップキック
かますのがせいぜいポエムというのなら、放屁してケツから演説すれば
そこにある魅力というのはせいぜいがテレビ局じゃないTBCのCM程度のものだ。
上司のバカヤローとかいいつつせいぜいステキにあがいて、決して
使用済み生理用品で煎じた茶を出したりしない消極的なステキオーラ態度。
で、そういうのは菅野美穂が出演してるモノホンに死んでもかなわない。
わたせせいぞうの画集見ながらキレイキレイで汚物を消毒だー
とわめきながらヒデブってろ、とつぶやく以外ねえんだよ

俺が求めるのは黒ジャージを着てアディダスの紐なしスーパースター
を頑張って履いちゃいました、古着屋で必死こいて買った皮ジャケに
安全ピンを大量にひっつけて街を歩きました。そういう頑張り具合だ

しかし反面、最近の、フォトショ使いまくりました的なオタク同人誌の
やたらエセオサレめいた装丁をみながらああここには陵辱やロリコン
レイプやら緊縛輪姦やらのたくさんの鬼畜な願望がつまっているのだなぁ
と考えると実に無印系のスカシまくった態度についての愛情が沸いてくる
のも事実だ。文学好きは文学好きで必死でスカしてんのね。という具合に。

だから◎×■の精神的なタガが外れたメンヘル詩人女食いまくりの態度に
共感するとすれば詩の内容完全無視で唯一その一点に限るし、×凸⑨の
とりあえずやさぐれてるけどいい人オーラを丸出しにしながらケツ放屁を
かましまくる態度に共感しようというならセックスしたいセックスしたい
セックスしたいというその一点に限るわけだ。北方先生ならソープに行けの
一発で済むようなことを延々とぶちかますその一点だけで俺は連中を支持
しよう。詩の内容はともかくレイパーだったり頑張りまくりというその
ただ一点だけでな。

もういいや、とりあえずおまえら半合意でレイプしてろ。手際のよさはとりあえず
褒めとくから。ビーアレイプメン!ビーアスーパースター!ケツ毛むしって食ってろ

◎×■とかにはnet詩連中のなかで適当にあてはまると思われる名前
あるいは嫌いな上司の名前でも自分で考えて入れていただけると実にありがたい。

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[批評・散文・エッセイ]伝えないための代弁技術/へのころ[2006年4月26日15時15分]

いかに我々が自由平等博愛を謳歌しようとも世界にはむかつく種類の人間と
いうものが絶対に存在する。そういった人間に自らの態度を明らかにする
ことは無駄かつ徒労なのだ。そこで、我々は工夫が必要になる。すなわち
万人に解る文というより、自分が気に入ったメンツあるいは気に入らないメンツ
を徹底して差別化し、わからせあるいはわからせない表現である。

議論において解り難い専門用語あるいは表現を多用するというのは実に簡単で
解説が面倒臭いからであるが、これに差別的意図があったとしても別に責められる
ことではない。バカの相手は面倒くさく、嫌なものだというのは明白だからだ。
それゆえ回答する相手の質をも選ぶ必要がある。これは実に真っ当なことであり
責められることではない。まあはっきりさせとこう。これはやっていいことだと。
批判を封殺する気はないといいつつ、何か言ってきた奴がバカだとか、そういう
姑息な手段を使う気はサラサラない。個人的信条というよりそういうことをやって
いる一個人が大嫌いというハナシである。ので批判はご自由に。

詩においては歴史的に漢詩の例がある。漢詩が古来中国の朝廷において
重要視されたのは徹底して無教養な宦官が専横をきわめていたという情勢があり、
これを打破するために官僚は宦官に情報を与えない必要があった。そのために
漢詩が重要視されたのである。もっともこれは宦官のレベルを引き上げる役割も
果たしたわけだから本来の役割は斜め上に果たしたことになる。まったく
よくわからないものである。もっともこいつは芸術的云々ということとは
ハナシが別になる。

さてとそこであくまで芸術的視点において、自らがバカと信じる人間に対して
決してわからせようとしない態度というのはどういうことか。徹底して俗化するか
徹底して高級化するか。というのが単純な分け方かもしれないが、言ってしまえば
ローカル化するということにまとめといていいと思う。そこで、自分が持っている
キーワードをどの程度相手に反応させるかが勝負ということになる。ここで重要
なのは解った言葉を使った上で最大の拒否反応あるいは同調反応を読み手に対して
起こさせることだ。実はフォーラムの文の半分はこういった同調反応あるいは拒否
反応の上手い組み合わせのみでできているのである。それをかんがえれば、この
反応の組み合わせという事柄が内容以上に、いかに重要かということがわかるだろう。

さらにこういった挑発によって、噛み付いてきた人間に対して、「わかってねえな」
と言い放つための装置を組み込んでおく場合もある。これは実は内容を完全に極小化
することで可能なのである。しかしそれをやる場合は明確にモラルの問題ということに
なるが、すでに「わたしは悪人です」と言い放つことはそれほどのステータスも
非難ももたらさない。しかし「彼は悪人です」と言った場合は当然批判として
最大の非難をもたらす。ここで敢えて言えば内容は必要ない。ただそれが嫌われない
ための装置あるいは嫌われるための装置だとして、ぶっちゃけどうよという問いを
提示しておく必要はあると感じる。

承:
おれがこの文を書いた理由は世界という巨大なフィールドで評価されるより、
ごく狭いフィールドで評価されるということが自らにとって名誉である場合も
あるのだ、と確信したからだ。ここでマジョリティ至上主義は大抵こういう
まず巨大なフィールドで評価される能力を持つべきだ、と。実にもっともな
意見に聞こえるがこれを受け入れる必要をもはや感じないということが俺の
意見なのである。ここで俺が最重要視するのは名誉あるいはプライドの問題に
すぎない。よってB級という地平すらも拒否するべきだと思う。そういった
階層的なフィールド構造そのものを拒絶するのが目的だからだ。

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[批評・散文・エッセイ]辺境によるポピュラーの虐殺 あるいは自爆/へのころ[2006年4月29日1時40分]

二等辺三角形とは二つの辺の長さが等しい三角形のことを言う。これは義務教育段階で
誰もが学習した。しかし辺とは何か。単純に言えば端っこということになろう
辺境というのは語源的に考えればはしっこの地域ということになる。当然
端っこがあるなら中心もあるということだが三角形の中心を求めるには複雑な公式が
必要になるが辺のほうは図示されているのであきらかにわかりやすいように
辺境がどこか、というのは中央がどこかということより非常にわかりやすい。
六本木ヒルズが中央かどうかはわからないが、群馬県などはあきらかな辺境である。

さて文化は中央からやってくるとされる。インターネットの普及によってそういった
システムも変わるかのように喧伝されたが実際はネットつながりが東京に集中して
いることを考えると単純に一極集中を促したにすぎない。結局地方に残ったのは
薄い残塊でそれが東京でさらに稀薄になるという悪循環をくりかえしている…と
理由を考察するよりもまず、地方のスーパーマーケットというサンプルを提示した
ほうがいいだろう。軽い食堂とCD店、書店、服屋が併設されており食堂にはジェ
ラートアイス、CD店にはケツメイシ、書店には村上龍の新作が並んでおり服屋は
ユニクロといった具合だ。そしてポップとして受容されるのは概ねこういった
消費文化だ。

ということで辺境によるポップの虐殺ということに移ろう。実はポップという
平板なイメージを徹底して保っているのはいまや辺境なのだ。理由としては単純に
それ以外に選択肢がないからにすぎない。過去において辺境は、情報の受容の
し難さという点でまさに独自性を保っていたがいまやそういった選択肢は
完全に消えた。国道沿いにはユニクロツタヤあるいはその類似品が立ち並んで
東京、というよりはあくまで全方位的に薄められた文化風俗そして消費財
販売している。地方の洋品店が独自に仕入れあるいは製造したような東京製品の
類似品というものはもはや完全に絶滅した。

辺境の逆襲というのはまさにこうなのだ。構図として、もはや辺境がその独自性で
圧倒するという構図はもはや不可能に近い。だとして、ポップあるいは受容性に
固執する人間をまさに辺境的とするべきなのである。だとしてもはや辺境者、
田舎者以外はポップであることは不可能というまさに奇妙な転倒が起こりつつある。
さきの二等辺三角形を持ち出せば、これを正三角形化と呼ぼう。面積と向きで
独自性を出すしかない存在である。

ここでポップの定義はポピュラーの略語という概念に絞っておく。
そして、独自性が排除された辺境は中心に対する劣等性をさらに高め
自爆していく。ここではあくまで位置的、経済的な辺境に絞って捉えたが
詩というまさに中央から外れた文化分野的な辺境という面ではどうなることか。
想像すべきサンプルは普通に転がっている。

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[短歌]/へのころ[2006年5月5日23時59分]

まつの葉のおもひにわが身を晒せども 刺さりて歩めずむつの信夫路

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[批評・散文・エッセイ]ネトサヨネトウヨ/へのころ[2006年5月13日0時57分]

伝統的な左派と右派の対立を
何で外交問題に縮小収束させてんだか。

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[自由詩]〜○○〜〜○〜○○〜〜○〜○○〜〜○〜○○〜〜○/へのころ[2006年5月20日22時24分]

ツンデレポニーテールを 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 
〜○ 〜○ 〜○ 〜○ もみもみ も〜みもみ〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○
もみもみ も〜みもみ〜○ 〜○ 〜○〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○   
〜○〜○〜○ 〜○〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○
ツンデレポニーテールを 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 
〜○ 〜○ 〜○ 〜○ もみもみ も〜みもみ〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○
〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 
 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○
机に向かってパソコンとかしてるとこに、うしろから〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○
〜○ 〜○ 〜○ 〜○ もみもみ も〜みもみ〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○
〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○
出す 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○
〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 
油断してまったりして紅茶を飲んでいるとき〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○
〜○ 〜○ 〜○ 〜○ もみもみ も〜みもみ〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○
〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 
うしろ〜○うしろ〜○うしろ〜○から〜○うし
ろ〜○うしろ〜○から〜○うしろ〜○から〜○うしろ〜○うしろ〜○うしろ〜○から〜○うし
ろ〜○うしろ〜○から〜○うしろ〜○から〜○
うしろ〜○うしろ〜○うしろ〜○から〜○うし
ろ〜○うしろ〜○から〜○うしろ〜○から〜○

〜○ 〜○ 〜○ 〜○ウッ〜○ウッ 〜○ウッ 〜○ウッ 〜○ウッ 〜○ウッ 〜○
ウッ〜○ウッ 〜○ウッ 〜○ウッ 〜○ウッ 〜○ウッ 〜○ウッ〜○ウッ 〜○ウッ 〜○ウッ 〜○ウッ 〜○ウッ 〜○ウッ〜○ウッ 〜○ウッ 〜○ウッ 〜○ウッ 〜○ウッ 〜○
ウッ〜○ウッ 〜○ウッ 〜○ウッ 〜○ウッ 〜○ウッ 〜○
ウッ 〜○ウッウッ 〜○ウッウッ 〜○ウッウッ 〜○ウッウッ 〜○ウッ
〜○ウッウッウッ 〜○ウッ〜○ウッウッウッ 〜○ウッ〜○ウッウッウッ 〜○ウッ
ウッウッウッ 〜○ウッウッウッ 〜○ウッウッウッ 〜○ウッウッウッ 〜○
ウッウッウッ 〜○ウッウッウッウッウッ 〜○ウッウッウッウッウッ 〜○ウッウッ
ウッ

〜○



ラン〜○ラン〜○ラーン〜○ラン〜○ラン〜○ラーン
〜○〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 
〜○ラン〜○ラン〜○ラーン
 〜○ 〜○ 〜○ 
〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○
〜○ラン〜○ラン〜○ラーン
〜○〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 
〜○ 〜○ 〜○ 〜○ 〜
ラン〜○ラン〜○ラーン〜○ラン〜○ラン〜○ラーン


〜○ラン〜○ラン〜○ラーン



〜○ラン〜○ラン〜○ラーン

                                                      • -

[自由詩]ちんこ/へのころ[2006年5月23日21時32分]

うわぁまちがってケツの穴に出しちゃったぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!
でも妊娠したからOK!OK!
うわぁまちがって核のボタンおしちゃった!
でも妊娠したからOK!OK!

そうさ妊娠すれば何の問題もないのさ
カックカックカウカククククカククカクカクカクカク
出せ!中で出せ!このメンヘルのあばずれ女!
俺は中で出すぞこの野郎
何を出すって?
惑星だよ
東京ドーム六敗分の
楽天の黒星だ。
ならんでみれば
まるでピンクフロイドのジャケットのようなので
サイケデリックな感覚をもとめている
バカ野郎どもはイチコロという寸法さ
そして
カクカクカクカッカクカクカク
うひゃぁうはぁうひゃうはぁ
ざまあみやがれ
マ◎コ!おまえなんかに出してやらん!

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[批評・散文・エッセイ]殺害衝動と性欲を世界平和に活かせ/へのころ[2006年5月30日17時27分]

単純に考えてみれば、性交をしたくない男がいたとして、精液を出したくない男と
いうものはいないと思う。実際ほおっておいても出るのだから全く仕方がないんだな。

同時に、実際人を殺したくない男というのもいない。血が出るからいやだとか生命を
尊ぶといっても実際殺して生命が奪われず痛みを感じないというのならまあ人に向けて
銃を一発ズドンと撃ってみたいとか、日本刀で袈裟懸けに斬ってみたいというのはどの
ような人間でも考えたことがあるはずである。実際このような殺害衝動や性欲というのは
止められぬものとしてそのうえで地球の平和と世界の友好を保つ、むしろ人を活かし、
幸福にするために人を袈裟懸けに斬り、銃をズドンとしてみたいという、これがまったく
矛盾しているが男の夢でありロマンなのである。

北欧神話に出てくるヴァルハラなどというものは実際殺しあった者どもが健闘を称えあい
美酒を愉しむ天国という、まさに男のロマンを結実させたような来世観だというのは男性
すべてが認めるところであろう。

しかし現実になんとなく人間を殺害すれば世界の平和に寄与するどころか社会の安定にも
寄与しないという、それが現実である。戦争や革命や犯罪捜査などという特殊事情を
求めることになるとしてしかし性欲をもってして鮭は滝をももろともとせず黒竜江の大河
をさかのぼるのであり、殺害衝動をもってしてアレクサンダーはインドに到達したので
あるからこの力を世界平和に活かせるというのであれば活かすべきである。

さてここでどうするかということになると私は押忍の力ということを挙げたいのである
怒りに身を任せあるいは一時の劣情に身を任せようとするときに押忍と唱え世界の友好と
平和を思い浮かべるのである。しかし忍耐であってはならない。あくまで親孝行をして
他人に親切であるということのために殺害衝動や性欲を活かさないというのはまったく
エネルギーの無駄であるとしか言いようがないのである。しかし今の論旨としては
男性諸君のこれらの衝動を鎮圧しあるいは批判するということでもって世界の平和や
友好が保たれているという幻想が広がっているように思える。これは私にとっては
笑止千万である。抑圧されたエネルギーはダムが崩壊し、洪水が起こるごとくに
世界を破綻へと導くであろう。あるいは発散ということにしても結局はエネルギーの
無駄遣いのように思えてならない。

わたしも八つ裂きとはいかぬでも、是非に殺害したい、というより殺害せねば
ならぬと思った人間がいるのだが、この意気で親孝行をしようと思ったらできた
のである。理屈はまったくわからないがそういうことである。
つまり人を殺害しようと思ったときに親孝行をし、年寄りを大事にするのである。
このことに私は全く矛盾を感じない。馬鹿になれ。滝のごとく馬鹿になるのだ。

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[批評・散文・エッセイ]デヴィッドボウイで勃起するのこと/へのころ[2006年5月30日20時14分]

確か高校時代だったと思ったがデビッドボウイの70年代ライブビデオが
タワーレコードにあった。それで当時といったらちょっとしたデビッドボウイ
ブームだったんだな。それで購入してみたんだが、つい勃起したね。

普通ならホモ趣味があるんじゃないかと自らを疑うところだと思ったんだが
実際問題女でもクリトリスで勃起というのがあるわけで、男は勃起すれば
カウパーが出て濡れるということで、実際本質的には濡れるのも勃起する
のも同じことではないかと考えたわけだ。でもって朝立ちというのを考えると
これが朝ということに欲情するはずはないわけだからこれも性欲だとかそういう
ものを除いてみれば単純にひとつの反応ということなんだな。それでまあ自分の
趣味趣向ということについてそのときは深く考えなかった。

ところが翌日の夕方のことだ。ウチのばあちゃんが茶を入れてくれたんだが
こいつにも勃起した。さすがに男以上にばあちゃんに勃起するということは
まずいように見えたが、まあそのときも深くは考えなかった。昨日の件があった
のでそれはそれでいいと思っていたのだ。まあ大学に至って、そういった
なんでもない勃起が続くにつれ、この反応ということについて少しだが考える
ことになっていった。

紀友則の和歌にしづ心なく花の散るらむといった一節があるが、わたしの場合
しづ心で勃起するということだ。こういった静寂に満ちた勃起ということについて
わたしもさまざまに考えることはあるのだがひとつ絶望したり野望に満ちたときの
反応をゆっくりとしたしづかさにまとめ、さらにはこの二つを勃起ということで
まとめると実にうまくいった。それでまぁ人生を頑張ろうと思ったんだな。

吉田秀一朗という小説家の作品で恥辱の切腹という作品がある、内容としては
茶室で勃起した武士がそれを同輩に笑われて切腹するという話なんだが、この
一節に「もはや義三郎の意気は立ちあがったへのころでしか示せなくなっていた
まさに腹を切らんとして下腹部を露出したそのときものうのうと逸物は立ち上がって
いた」というのがあった。まさにわたしの生きる様がそうであると思ったのだ
その一節を読んで感動した私はへのころという逸物の古名をもってして筆名とした。

おそらく死んで墓場に入ろうと言うときに、棺の中のわたしの逸物がのうのうと
立っていればそれはそれでよい人生としてまとまったことになるのだと確信している。

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[批評・散文・エッセイ]才能の問題ではなくチンコの問題だ。/へのころ[2006年5月31日21時12分]

朝になったらきちんとチンコが立つ、これが男のダンディズムであり
ゆえに勝新は女にモテたのである。

つまりこういうことである。チンコがない人間は何をやっても無駄なのだ。
これは女にチンコがないということではない。女も勃起するからチンコは
あるのであり、そこから精液が出ないと言うだけの話だ。才能の問題という
よりここで俺はこのチンコをいかに立たせるかという問題だと思うのだな
重要なのは食事だ。とりあえず納豆やトロロ汁を食わなければならない
それに女ということについてどう考えるかということなんだが、たとえば
わたしは今日五十人の女とやるのだ、という場合多分途中で立たないことも
多いと思うのだが、ここでやりかたとしては五十人の女を平等に愛すると
いうことになれば単純にちんこをさしていくだけのいけばな教室になる
わけだから、いかに早漏といえど一人の女をいかにムリヤリ愛するかという
ことになる。まあなんだかんだいっても正妻をもつということになれば
どれだけ浮気してもかまわんがあとは余技ということになるだろう。
これはまぁどうあがいてもしかたのないことなんだな。まあ長年連れ沿って
いれば浮気という気持ちが起きることを責めるわけにはいかないんだが
結局のところセックスの才能などセックスに必要ないというよりはこうだ
自己満足はいかん、いかにカミさんを満足させるかというそこが男の甲斐性な
わけだな。カミさん一人満足させられん男が、何が女喰いだと。女子高生を
食うとか言う前にまずカミさんを満足させればよかろう。できなければ
とっとと分かれてしまえ。

                                                      • -

[自由詩]太陽神/へのころ[2006年6月7日21時40分]

光線を伝わり降りてくる
万物に恵みを与え
僕らを癒す太陽のヴァイヴ
平和を誓う僕らの心に
太陽神が生きている
あぁ生きている
それはすばらしい神秘
胸を焦がすイエローの微笑み
平和を誓う僕らの胸に
太陽神が降りてくる
いつかきっと降りてくる
古(いにしえ)に満ちたピースネス
復活のために僕らは生きる
幸福に満ちた世界のために
僕らは手をつなぎあう
光輝く真意を求め
信仰はやめ理解する
ああいつか降りてくるその日まで
太陽神が僕らの心に
生きている
ああ生きている

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[批評・散文・エッセイ]現代に首切り精神を持ち込め/へのころ[2006年6月21日21時27分]

いまとなっては完全に想像の及ばぬ事柄だと思うが、プレスリー登場以前
フランクシナトラのニューヨーク、ニューヨークを聞いた後に歪んだ笑みを
浮かべながら45口径で誰かの脳みそをパンとぶっぱなしてやるような気分に
なった人間がかつて何千人も存在したのは確かなのである。

あるいはさらに遡れば源平合戦の武士達が雅楽を聴き、和歌を詠んだ上で
よき首を獲らんと士気を高めていたとして、当然人体の破壊行為を行うと
いうことに変わりはない。首を斬るということについては当然のことながら
頚動脈血流の圧力で首が吹っ飛び、あるいは眼球が飛び出るということも
ザラである。

眼球が飛び出し、蛆が沸くのを防止するために塩漬け、酒漬けにされたと
してやはりその異臭は激しかったろう。戦が終わったとしてそのような首
を眺めながら鼻を刺激するアンモニア分とともに聴く雅楽というのはどの
ようなものだったのか、無常を感じるものだったのか、それとも戦の興奮
を沈め疲れを快楽へと変えるものだったのか、今となっては知る由はない。

だとして古典と現代ものを全く同じ視点で捉えた上で優劣を測るべきと言う
視点は完全に想像力を欠いているから俺は好きではないのだ。古典において
測られるべきものはその当時においての斬新さを現代視点で見ながらギャー
クソ言うことではあるまい。そのようなことはじじい向けのプレジデント誌
あたりにまかせておけばよく、古典において本来有効なことは当時の現在
では狂気とされる、正気。つまり純粋に狂った正気を測ったうえでわがものと
することに他ならない。つまり今の時代に適用しないから云々という発言は
まったく困ったことなのである。古典としては合わせる気はない。当時書かれた
ものなのだから当然だ。

重要なのは現代との違和感をいかに活用するかということなのである。果たして
現代で首を切ってはいけないのだろうかという問いを古典は与えてくれる。
現代にあわせたものが欲しいのならそのまんま講談社現代新書でも読んだほうが
よいに決まっている。そもそも現代の社会性に首切り精神を持ち込むのがわれわれが
古典を読むことにほかならずそのために社会そのものをひっかきまわすべきなので
ある。

旧日本軍では、靴に身体を合わせろというような非合理論がまかりとおっており、その
こと自体は現代においては批判されるべきであるがわれわれがなすべきはまさにそういった
非合理であり、非情であり、非道である。現代という時代に不平をいだくならそういうことだ
その際に古典はもっとも論拠たりえると保証する。

                                                      • -

[自由詩]檸檬の涙/へのころ[2006年6月26日21時37分]

檸檬の涙が流れたならば
安い香料と着色料で
誰もが知ってる恋や
悲しみの臭いしかしない

そしてやってられないくらい
簡単に合点が行ったよ
君は恋で悲しんでいる

ところが破滅を演じる傍らで、
芝居の幕が下りようとして
さあ現実の始まりだ、

明日の無いことは悲劇の条件で
それに付随する男運のなさや
花瓶を割ろうとする挙動までも
いつしか計算のうちさ
もう感情では、鉛筆も動かない

ゆっくりおやすみ
やせっぽっちの腕の中で

お洒落に飽きたら、男漁りの時間だよ

                                                      • -

[批評・散文・エッセイ]ニート南樺太及び千島列島に屯田させ大ニート帝国を建設するの案/へのころ[2006年6月28日21時31分]

まあ戦前右翼ならコレっくらい言ってるね。

ということでこの文について。
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=79817
まず結論から言うとKENという奴は反吐が出るので
肥溜めに頭を突っ込んで死んだほうがいいと思う。

ニートさんに対して自分の責任云々を言うのは簡単だが
では社会という機構は安易に目覚めたニートさんを雇うように出来ているかと
言うとできていない。すぐ職につきたいと思ってつける状況でないのは
実に当たり前のことであるので社会を責める気もない

ということでこの文がきわめてまともなことを
言っている、として賛同するにしても
それでも死ね。

だからどうするかという根本的な案件
一切無視だよな。どうせぶっちゃけていえば強制収用させて
労働させたいと思ってんだろ。
思ってるならそれでいい。

だーがどうせ貴様にはそれは言えないわけだ
チンコ隠して良識派でいたいからな。
結果手前様が良識派に属するための踏み絵として
ニートを踏んでるとしか思えぬわけだ。

たしかに親御さんは可哀想、可哀想として
ニートが悪というところも一般良識として認めるとして
それが両立して親=善、ニート=悪という構図をどうやって
脳内で成立させんだよ。ムリだからそれ。
はっきりいって親も社会も個人にも全員責任あるんだよ。
企業にもな。

さーて、ここで汚らしいニートひきこもりをどうするかと言うことで言えば
ハッキリいえば良識派でいたいヨゴレたくないという貴様の病理が
そのままニートの病理なのだ。
当然ニートのために社会を変えてくれなんて、そんなおこがましいことは
いえるはずはないというのが貴様の思考だろうからハッキリ言おう。

貴様よりナ○スや旧○本軍、ファシ○ト、ア○、日○赤軍のほうが数倍精神的に健全だと。

スターリンなら最低でもニートをシベリア送りにして労働力を確保しよう位のことは
言ってるし戦前右翼なら多分ニートを総て満州へと送り開拓の資源及びソ連邦への対手と
すべしくらいのことは言っている。ナチスなら強制収容所で労働くらいのことは
裏で画策するだろう。戦国時代なら親が切腹してニート強制自立とかする。

それがとてつもなくイヤなことであれ、使う場をつくろうとするくらいのことをするのが
批判する人間の手の汚す論理ってもんだ。ハッキリ言ってしまえば公をぬかしておいて
口も汚さない良識派の発想など、結局のところなんとなーくイヤねニート
の発想であり実に美学的でありある意味詩人的ともいえる

口を汚す気がないならかなまら祭りでチンコ飴でもなめてろ

                                                      • -

[批評・散文・エッセイ]よいこのどうわ にくとてつじゅうじ/へのころ[2006年7月6日19時37分]

むかしむかしのことです。ドイツはナチスというとてもわるくて
かっこいいしゅうだんがおさめていました。

ナチスポーランドというくにとなかがわるかったので、おなじようにポーランド
なかのわるいソれんというくにとなかよくして、ポーランドをなかよくわけてしまいました。

でもソれんはよくうそをつくくにでしたから、ナチス
いつソれんがせめてくるかとしんぱいでしかたありませんでした。
そこでヒットラーそうとうはソれんをやっつけてしまえとおもい
バルバロッサさくせんというさくせんをたてました。
バルバロッサとはソれんにせめこむさくせんのことです。

さいしょはかっていたナチスでしたが、ソれんというくにはひろすぎて
ふゆのじゅんびをしていなかったナチスのへいたいはさむさにつよい
ソれんのへいたいにまけてどんどんしんでいきました

ああ、くににかえってクリスマスのシュトレインがたべたいなあ。かぞくは
どうしているだろうとなげきながら、ナチスのへいたいはようしゃない
ソれんのへいたいにころされていきました

パンをくれたひとにはパンをかえし
ちをながさせたやつにはちでむくいるぞ

ソれんのへいたいはそういいながらへいたいのあたまをピストルで
パン、とうちぬいていきました。

シェスターぐんそうはえらいしょうぐんを
ソれんぐんからたすけたのをほめられててつじゅうじくんしょうをもらいました

てつじゅうじくんしょうはドイツでいちばんゆうかんなへいたいさんに
おくられるくんしょうです。

ソれんのへいたいはそれをみつけました

おい、こいつてつじゅうじをもっているぞ

ちょうどいい、かぞくのかたきだ。はだかにしてしばりつけてやろうぜ。

このさむぞらだ、じゅっぷんもたずにしんでしまうさ。さぁやれ。

シェスターぐんそうははだかにむかれ、てつじゅうじくんしょうをうばわれて
しまいました。

シェスターぐんそうはおもいました。

ああぼくはくにのためにいっしょうけんめいたたかった。なのになんで
こんなところでしななければならないのだろう。

そのときむこうがわからぶるると
うしがなくようなこえがきこえました

どぉん どぉん

たいほうをうつおとです。

みんなふせました。

ドイツがほこるタイガーせんしゃです。

たちまちソれんのへいたいはにげていきました
にげおくれたへいたいはようしゃなくキャタピラにつぶされていきます。

べちょりべちょり

こおったキャタピラにソれんのへいたいのつぶされたにくが
へばりついていました。こおりきったきんぞくにはあたたかいにくは
こおりついてすぐにへばりつくのです。

にげおくれたへいたいがあなにこもると、タイガーせんしゃは
まうえでエンジンをからぶかしさせました。
ソれんのへいたいははいきガスをたくさんすいこみ
いきがくるしくなってたちまちしんでいきました。

へいたいがあらかたかたづいたので、シェスターぐんそうはうばわれた
てつじゅうじくんしょうをさがしにいきました。

さむいさなかではだかでいたので、シェスターぐんそうはすっかり
こおりかけていました。ようやくてつじゅうじをみつけましたが
すっかりとキャタピラにつぶされてちまみれのあくしゅうがただよって
いました。

さいごのちからをふりしぼりぐんそうはわはははははははと
たくさんのかがとびたつようなこえをあげ

ドイツばんざいとさけんでしにました。

とてもしあわせそうなえがおでした。
そのかおをみたせんしゃへいは
ああ、またこのかおかといやなかおをしました。

さむさでこうちょくしたきんにくが
むりやりえがおをつくっていたのです。

                                                      • -

[自由詩]軌道上でわらってごらん/へのころ[2006年7月10日23時01分]

奇跡ではなく、存在するのは軌道だ
一つのレールの上で
タカッタタッタタッタ
と振動してもずれることはない

乗車する機種の色
ディーゼル臭から光景まで
愉しむ事柄は多々あれど

キハ58から717系まで
揺れに音に移動にと
たしかに、根本はおなじで

ほんの僅かな味と違いが
天国でもなく自由でもなく
僅かな笑みを確保する

ああ、そうだな、これはひどくいい臭いだ
おもえばあれからはじまった
薔薇の香りでもなく
伽羅抹香などでもない
子供の頃に公園で乗った
ボロボロのD-51の
三十年たってはいても
こびりついている石炭の臭いだ。

激しい恋や念慮ではなく
そういうほんのわずかな甘みを
疲れかけた体に浮かべるのさ

わらってごらん
それでいいのさ
束縛だと信じ込んでいる
レールの上で

                                                      • -

[批評・散文・エッセイ]漢字武装はすでに第三国製品だ/へのころ[2006年8月2日23時47分]

まずこの文章を書きたいと思った理由は、最近のJPOPの歌詞に、
表面的な荘厳さが目立つという友人の感想を聞いたからだ
確かにその通りだと思った。
その友人との会話内容を以下に引用する。

******************************************************************

[XX:34:20] 仮名A の発言:
http://po-m.com/forum/xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx(伏せ)
[XX:34:23] 仮名A の発言:
これはまったくハシにも棒にもかからんしろものだね。
[XX:35:02] 仮名A の発言:
それにこいつはやはり
[XX:35:07] 仮名A の発言:
XXXに点数をあげているね
[XX:35:26] 俺 の発言:
そうだね。
[XX:35:38] 仮名A の発言:
これは不細工だと思うね
[XX:36:38] 仮名A の発言:
シンプルを突き詰めたものが
[XX:36:43] 仮名A の発言:
かけるひとがほとんどいないね。
[XX:36:55] 仮名A の発言:
難しい語彙、文学的な暗喩を駆使して、かもしだされる雰囲気だけの常套句だね。
[XX:38:22] 俺 の発言:
正直どうだろうな
[XX:39:04] 仮名A の発言:
XXXXXXXXXさんとかがね、
[XX:39:06] 仮名A の発言:
うけているのも結局雰囲気だけではないかねぇ。
[XX:39:19] 俺 の発言:
なんともいえないが
[XX:40:49] 俺 の発言:
文学的な語彙自体
[XX:40:53] 俺 の発言:
ありふれた時代になったな
[XX:40:56] 仮名A の発言:
そうだね
[XX:48:32] 仮名A の発言:
最近自分がね、どれだけ借り物の言葉でやってきたかよく分かるよ
[XX:48:55] 仮名A の発言:
表面的な雰囲気だけにとらわれていたことがね
[XX:49:08] 俺 の発言:
まあそういうことはよくあるよ
[XX:49:19] 仮名A の発言:
よくあるんだけど、
[XX:49:27] 仮名A の発言:
じゃぁどうすればいいかと思ったらねぇ
[XX:49:33] 仮名A の発言:
やはり、今は書くべきじゃないと思うんだね
[XX:53:10] 俺 の発言:
表面的な雰囲気はいくらでもまあ
[XX:53:14] 俺 の発言:
本来利用すべきだよ、XXXXXはヘタだがその点XXXXは出来るから
[XX:53:20] 俺 の発言:
XXXXみたくやればいい。
[XX:53:31] 仮名A の発言:
いやね、不細工だよやっぱり。

******************************************************************

☆☆さて、長い前置きは終わったので面倒くさければここから読んでもらおう。☆☆

考えるきっかけを長々と書いたわりに論は簡単なことで、お前らポップとして
それを書いているのかそれとも文学のエッセンスでも突っ込みたいのかと問いたい
だけにすぎない。はっきりいってしまって狂気や重厚を演出する手段としては

ありふれた哲学的語彙の乱発によって既に値崩れしたもので着飾るということは
君たちが想像している重厚やらを持っておらずきわめてポップだと言いたいってことだ。

さてそのポップの地平の上で何をやらかすかについてがこれからの考えということに
なるんだろうが、そもそもがそこでボーダーラインの崩壊を持ち出すのは極めて楽だし
真っ当な考えとして、むしろポップとしてそいつを発展させる考えをどうにかして
持ち出そうというのが俺の意見なわけだ。まあ言いたいことはこれで終わり


***本当は最初に持ってきたのだが、起承転結に従ってこっちに持ってくる***
さて話は変わる。

1970年代の日本製の被服品などは極めて安っぽいのだがこれが
全く壊れない。いくつかテイジン製のシャツなどを持っているが
これが見た目の安っぽさに比べて極めて丈夫で、十年以上着ているが
ほころびひとつない。しかしその安っぽさは顕著すぎるほどに顕著で
マニアにしか受容される品ではないだろう。70年代ファッションが
流行した90年代でさえ、受容されることは少なかった。

そして現在に戻ると、一ナイキのシューズやラルフローレン
ベネトンのシャツが台湾からインドネシア、インド、と発展途上国
おいて安価な労働力で次々と生産されていく。

これを対比させてこう定義しようと思う。
"あまりに高品質になりすぎた安物"と
"あまりに安価になりすぎた高級品"

これは実際のところ、純粋な比喩として労働問題とかを云々する
つもりもなく利用したに過ぎない事柄だが、実際のところここで
言うべきことは、われわれの愛するナイキやらラルフローレンは死んだとして
やっぱナイキの靴を履いている、そしてそれは1970年代の日本製の高級に成り
すぎた安物とまた違ったポップな似非高級品として履いているってことだ。
MSNの変換機能は、成立経緯も含め、その意味で日本製ではなくメイドイン◎◎
と表示されるに値する日本詩を大量生産している。

                                                      • -

[自由詩]いいから代名詞で呼べバカ/へのころ[2006年9月12日0時23分]

俺の本質だとか
俺という字の本質だとか
俺の名前の本質だとか
もうどうでもいいから
口から尻まで
たんまりつまった大腸菌まで含めて
代名詞で呼んでくれ
お前とかでいい
それで言い尽くせないほどの
人間じゃないし
なんか付加したいなら
無職でいい
ぶっちゃけ言いたいんだろ?言いたいんだろ?
言えボケ

それでも厳密性に拘るなら
一曲でいいから
ブライアンイーノのアンビエントシリーズを
鼻歌で歌ってみて
不可能性ってもんを悟れボケ

そこまでいろいろと拘るというのなら
人間だとかで表現されることは
おれはすっかりイチ抜けた

だから人権とかないし
人間性ってものもない

そこでその辺のオヤジを捕まえた
人間の幸せッて何ンだろう
それは

まあ浮かばないな
そして沈鬱

オヤジと盛り上がり
適当に帰す

                                                      • -

[自由詩]ぼくたちはどこではじまったのか/へのころ[2006年10月23日21時43分]

ぼくたちは
どこからはじまったのか
どこでおわっていくのか

ぼくたちは
世界を駆け巡りながら
表層をたしかめあった

つっぱしるうちに
ぼくたちはけものといっしょになって

ただつめたく傷つけあうだけの
浜風とさけびをきそいあって

あげくのはて、ただひびくだけだ

たしかにあのときまで
ぼくは菩薩というものを知らなかった

おぼろげな
乳房と尻が地面に張りついた
ひどく太った母親の坐像と
円形のみで表現された地母神

様々な像をおりまぜて
あのときのぼくは
みちたさまざまをやりすごした

いまやみにくい偶像と彫刻が
宮殿のあちこちに満ちていき
螺旋の蛇だけがあちこちを這っている

ならとっとと爆発させてしまおう
あるいはぼくはやるだけだと
指紋のひとつひとつを
イオニア式の文様にからませ

宮殿を引っこ抜いて
きみをぶん殴り、

ささくれがぶっささり
中身がつぶれてにこにこわらう
きっとそういう悲惨なものだった
内実は

それでもちがう次元では
ぼくたちはひびいていただけだったから
みちゆく旅人の一人に
哀感を覚えさせ
通り過ぎると

ぼくたちはおわることもなく
あとはどでかい平原を
法則にしたがってじわじわと
逓減していくだけだった

                                                      • -

[自由詩]嗚呼忠臣屁廼個呂之唄/へのころ[2006年10月28日0時00分]

嗚呼 屁廼個呂よ 屁廼個呂よ 君を笑う

汝交すれど 漏らさず

向かいては争はず

正に世間平穏百族の享和

たぐひなや 屁廼個呂 たぐひなや 嗚呼


陽熱正に顔を焼き 冷たき風も常ならば

男児の節は如何様ぞ 

児の如くの俊敏 処女の如くの官能を以って

木石の如く動ぜず

然りて嗚呼屁廼個呂は 滝と落ちたり

桜と枯れたり

かぐわしや かぐわしや 嗚呼

                                                      • -

[批評・散文・エッセイ]にんげんドキュメント ゴスロリ〜三十五歳のロリータ/へのころ[2006年11月8日23時14分]

ゴスロリの大御所吉田真紀子(35)
現在ゴスロリと言われるライフスタイルを続けて
もう20年になる。

インタビューの場にも、黒いドレスを纏い登場した。

「年甲斐がないとかよく言われますが、まあ好きな服装ですから」

そう言って笑顔をこぼした

彼女が先代の吉田真紀子に弟子入りしたのは15歳のとき、
それ以降、ゴスロリ修行を続けてきた

「はじめてドレスを着させてもらったのは3年目でしたね
それまでは窓からじっと立ち居振る舞いを見てるだけだったんですが
ある日、家に入ってこいといわれたんですね。それからまずは包帯の
巻き方とか眼帯のつけ方とか教えて貰って現在に至るというわけなんです。」

20年間ゴスロリの最前線に立っていた彼女にあこがれる女性は多い。
弟子入り志願の若者が何人かやってきたというが、
その厳しさに耐え切れずやめていったという。

「手首を切るというのは中世の瀉血にルーツを持っているんです。だから
中途半端じゃいけない。ちゃんと動脈まで切らないと。それを若い子はわかってない」

そう言いながらごつごつした傷だらけの手首を見せてくれた。
まさに職人の手首だった。

「この手首になるまで十年はかかるんです。みんなここまで行かずに
あきらめちゃうんですよねえ」

そう言って笑った。

そんな吉田さんだが、一時廃業を考えたこともあるという。
社会環境が変わり、若者がゴスに関心を持たなくなったのが原因だ。

「ええ、需要がなくなりましたからねえ。もう時代遅れ扱いでしたから。
でもやめようと思ったときに腐女子の方からたくさんの手紙がきまして
全部剃刀が入っていたんです。ああ、こんなに思われてるなら続けなきゃ
と思いました。」

最近は腐女子を中心に再評価が始まっている。
待った甲斐があった、と吉田さんは思っている。
しかし、最近の軽薄な流行には極めて批判的だ。

「やっぱり、少女の想像力の世界ですからね。可愛けりゃいいってもんじゃないんです。
やったらおしまいです。やったら。だから私も処女を守ってますよ。夢を決して捨てない
こと。それが第一条件ですね。」

最後にこう付け加えた

「若さって言うのは心の持ちようなんです。
心を持ち続けていればいつまでたってもロリなんです。
がんばれるまで続けますよ。」


                                                      • -

[批評・散文・エッセイ]自殺と暗殺/へのころ[2006年11月19日4時18分]

北一輝は初期の自殺と暗殺という論文において、自殺者が暗殺者へと
転換することを幻視という形で提示した。自殺の原因となる煩悶が
社会的な要因と個人意識の高揚との摩擦によって成立する以上、
暗殺者へと転向して社会の変革を志向することを歴史的必然と
みなしたのである。

1903年に、エリート学生であった藤村操が華厳の滝において厳頭之感
の書を残し厭世の情により自殺した事件は社会に大いなる衝撃を
与えた。これが遠因となって漱石が後年うつ病となったりしたことは
有名であるが、北のこの論文も藤村操の自殺について言及しており、
おそらく下敷きになったことは間違いない。

デュルケムの自殺論はあくまで自殺を社会的事実として捉えたが
これも北は下敷きにしている。アノミー(行動規範喪失)と必然
利他的自殺と利己的自殺、以上の四つの自殺が存在するとデュル
ケムは述べたのだが、少なくともデュルケムが社会集団の中において
もっとも自殺しにくい人種であるとされた、野心が社会規範の中で
規制されているはず、のエリートの自殺は北に多大なインスピレー
ションを与えたのだろう。

とはいえ、日本人は行動規範の中に自殺を組み込まれている人種であり
切腹など日本人なら誰でも知っている。デュルケムの論理も通じ難い
ところがある。くわえて論理としてはすでに古い。

すくなくとも多種の原因があるにせよ、最近もっともおおく騒がれている
中高生の自殺の原因というものは苛めが原因とされてはいるが、
遺書の内容を見てみれば名指しで原因となった同級生を示しているわけ
切腹でいえばあてつけ腹に近い。そこで生きていれば良い事があると
いう論理はきわめて場当たり的と言うより復讐者に対する言葉ではない。
復讐の無意味を諭すほうが数倍マトモということになる

しかしすくなくとも復讐の無意味というのは復讐の応酬を想定した
ものであり、死を前提とした人間にとっては到底意味を持たない。
しかし暴力的復讐はすくなくとも彼らにとっては無理難題といって
いいから彼らは死ぬのだとして、きみはまだ暗殺者でない以上未熟に
すぎないとわれわれは言い放つべきなのである。彼らの当てつけは
少なくとも復讐を気取ってはいても決して確実ではなく、少なくとも
社会の反応を最低限もたらす、良心というものを期待していて、
すくなくともその良心が、彼らが復讐者であることを良心的たるが
ゆえに認めない以上、彼らは復讐者足り得ることもできない。そして
彼らは単純な自殺者へと追いやられたのである。

さてごくついでに"彼あるいは彼女ら"についていってしまえばこうだ、
結局甘ちゃんを批判しつつ甘ちゃんに全面的に依存しているのは誰かと。

すくなくとも私も北と同様、彼らが暗殺者たりうることを期待しようと思う
もっとも現実としては、暗殺者足りえたのは515や226青年将校の如く
利他的自殺の趣を多く持つタイプの人間であった。少なくともこれは
革命家というものの普遍であり、ひとつの美徳でもあったから無理はない。
つまり私の願いはほぼ無理な空論にすぎぬわけだ。現実に暗殺者たることが
ほとんど無理である以上、自分で考えろと言うしかない。
人間が大好きなら自殺すればいい。

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[自由詩]死ね/へのころ[2006年11月22日4時06分]

おい、おまえ、
死ね。


そうだ、そこのおまえ、
死ね。

いま、すぐだ、

のたうちまわって、
死ね。

びょうきになって、
死ね。

あたまをうちぬかれて、
死ね。


はだかになって、
こごえ死ね


ひにやかれて、
死ね。


くびをつって、
死ね。


おれは死ぬから、おまえらも、
死ね。

生きるかもしれないが、
おまえらは、
死ね。

おれは、
なぐるつもりはない、
死ね。

おれは、
ころすつもりはない、
死ね。

でも、ころすかもしれない、

でも、なるべくころさない、
死ね。

だからおまえ、
死ね。

なぜかわかるか、
わかる必要はない、
死ね。

おれにもわからないが、
死ね。


おれはおまえをころしたくないが、
死ね。


ころされるのをみたくないが、
死ね。


しにたくないが、
死ね。


しんでほしくないが、
死ね。


かぞくとすごせ、
そしてすごすまえに、
死ね。

いっぱいセックスもしろ
そしてするまえに
死ね。

寝る前に歯をみがけ
みがくまえに
死ね。

まなべ
死ね
あそべ
死ね
食え
死ね

人生とはなんだろう、
知るか、
死ね。

人間の幸せって何ンだろう、
いいから、
死ね。


未来とかどうでもいいから、
死ね。





もういいや、
何って列挙するまでの
こともない
でもべつにそれが理由じゃないんだ

死ね。


ああおまえらが想像するまでもなく
葛藤はあるさ
だが関係ないんだ
死ね。

誰も彼も
死ね

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[自由詩]伝説-Feel allright-夏2006/へのころ[2006年11月23日2時11分]

俺がまず言いたいことは、伝説-レジェンド-を信じるかっていうことだ
首都高TOKYOハイウェイ、新宿にて、2006SUMMER 焦げるアスファルト
「メガネ?そんなのどうだっていいじゃねえか」「忙しいのよ」
この国はまったく変わってねえな。なあ天国のジョン、お前もそう思うだろ
あの1980ダコタハウスで起こった悲劇のときおれは生まれても居なかった
イマジン、そうさ想像すればわかる、PEACEカンバセーション
いつだって政治家は小難しい文句ばかりで信用できない笑顔を
バラ撒いている。戦火の空、切り倒される熱帯雨林、そうさ
くだらないことにキズついてくだらないことに反発する、
俺たちLONESOME COWBOY どうせ何も変わりはしない、
みんなそう言うんだ、解ってくれなんていうつもりはない
ただ、すこしだけ優しくなってくれ、そして感じてくれ、
すぐにでも途切れそうな、鼓動-バイブレーション-を
大人になれない俺たち、風を切る、LONESOME COWBOY

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(ファイルの終わり)