擬似同志モーゼルお前の番だ

sexyhoya_kouzou2004-11-23

擬似同志、ということについて考えてみてみたくなった。
ある程度、自らの行動を"代弁した"と判断される相手に対してある程度
入れあげて自らの同志と感じてしまう感情について造語したのだが
もっとわかりやすくいってしまえば、共感だろう。


たとえば、"なんかぶっ殺してぇ"という感情を持っているときに
ある程度ヒトラーもしくは殺人鬼、普通にクソガキに感情移入することは
誰でもあるとおもうのだが、まあこいつとはまた別で、普通に何の
思想的背景もねー相手に対しシンパシーを抱くってこと
まあつまりハマザキとかに自己投影して"共感"する。
それがハマザキっつースター的要素を持った一個人であれ
ヒトラーやら麻原やらの、負の側面が濃い人間に対して共感したり
まあ、こいつは何故なのかってことだ。


別にいらないともおもうが何故そういうことを思い出したか
ある会社のパーティーみてえなとこで、長髪のオヤジが奏でる
ベンチャーズにあーこれベンチャーズだなとなんとなく
うなづくオヤジ連を見てなんとなく嫌悪を覚えたとハナシを
聞いたからなのだ。あああまり関連ねえよ。とりあえず
いろいろ練って繋げるつもりだというかまあ、なんとかする。


でまあどういう視点で斬るか。当然俺の得意分野であるカルチャー
で斬るほかあるまい。ディスコシーンを例に取ると、1980年代に
ドナ・サマーが「エイズは神様がオカマ野郎どもに下した罰」発言をして、
ディスコシーンにたむろしまくっていたゲイ連中から総スカンを
食らったのだが、逆を言えばゲイ連中はそれまでドナ・サマー
支持していたわけだ。
ぶっちゃけ発言で検索すると同性愛板でこんな発言がある。


272 :禁断の名無しさん :04/05/01 20:19 id:J8IpqVHP
私ドナがゲイ批判したって聞いてもなお嫌いになれないのよねえ。
それぐらい当時から思い入れが深いアーティストなのよ。
エミネムだったら即バッシングだけど。


マァ曲の良さってのもあるがな。ジミーサマーヴィルが、ドナ・サマー
エイズは神様がオカマ野郎どもに下した罰」発言を聞いて激怒し、
I FEEL LOVE の12inchを叩き割ろうとして出来なかったという逸話は
ある程度有名であろうと思う。とはいえそれで終了させてしまうと
ちょっとつまらなすぎなんで考えなきゃならん。


でまあ、もうチョット考えてみるか。なんで曲がいいというだけで
ゲイ層に重点的に支持されねばならんかということだ。まあやはり
思いの仮託ってのがあるだろう。構図としては、ゲイがたむろしているディスコ
という場所で彼女の曲がガンガンかかっていた為なわけだとして
それが何ゆえに、そこまでの思いの仮託に結びつくかだ。ということで。


まあ疑問はここで行き詰るが、ある程度ここで仮定法やらあてはめによって
ヒトラーに共感する人間と、ハマザキあたりに共感する人間を分離することが
できる。ここでヒトラーに対する共感は、政権をとっていた当時のものとは
仮定せず、現在のものと仮定すると、現在ヒトラーに共感するタイプの人間は、
あきらかに社会には適応できているかもしれないが、"カルチャー"に対しては
適応できている人間ではない、といえる。ヒトラーに共感する人間は孤独なのだ。
そこで、決定的な差異を見いだせそうでもあるし見出せそうでもない。
ナチカルチャーも存在するではないか、という反論もあるだろう。だがこれは
ヒトラー好きなどとは決定的に質を異にする。だがハッキリ言うと彼らは
ヒトラーを擁護する場合があったりするが、それは"彼は虐殺を命じたか微妙だ"
というレベルであり、実際"虐殺をした"ことにすら共感する人間とは異なる。


そのあたりでハマザキ好きと対照的といえる。ハマザキに共感する人間は、
ハマザキの歌詞の内容に共感しているのか。ぶっちゃけて言えば、違うと思う。
彼女たちは確かに歌詞の内容を"本気でいい"という。ゴーストライター疑惑が
つきまとったとしても、その場合、"良さ"という根源的な感覚に依拠して
弁護しようとするだろう、ハマザキを。彼女が歌っている歌は、いいのだ、と。


続くかも