sexyhoya_kouzou2005-03-14


バベルの塔の建造は初めはかなり順調だった。いや、かなりどころでは
ない、何一つ手抜かりはなく、まずは道路標識や、通訳官や、職工の宿舎や、
連絡網が整然とととのえられた。何百年にもわたる仕事の見通しがあったからだ。
なるため慎重にとりかかれ、との意見が大勢を占めていた。その勢いのおもむくところ、
礎石を置くのさえのびのびになった。つまりは、こうである。この大事業の本質に
あたるものは、天までとどく塔を建てるという思想である。この思想に較べれば、
他の何ごとも取るにあたらない。思想はひとたび抱かれたからには消え失せる
ことがない。人間が存続するかぎり、塔を完成させたいと熾烈に願つづける
はずである。この点、将来にわたってなんら心配はいらないだろう。それどころ
ではない。人類の知識は向上する。建築技術は長足の進歩をしてきたし、これ
からも進歩しつづけるだろう。現在では一年を要する仕事も百年後には半年ですみ、
しかもよりよい、より丈夫なものが作られるに相違ない。とすると、なぜこの今、
なけなしの能力を総動員して建造に努めなくてはならないのか?塔を一世代
のうちに建て終えられる見込みがあるのなら話は別である。だがそんなことは
こんりんざい、期待できない。むしろ大いに予測がつくのだが、次の世代は進歩
した分だけ先の世界の仕事が気に入らず、それを取り壊して新しく始めないとも
かぎらない。そう思うと意欲が萎えた。人々は塔の建造よりも、塔の建造に従事
する者たちの町造りにかかりきった。四方からやってきた連中は、とりわけ美しい
地域に住みたがり、しばしばいざこざが起こった。力ずくの騒動にまで発展した。
争いはやまず、指導部はやがて大事業に必要な協力態勢がととわないからには、
着手をずっと先に延期すべきだと言い出した。とはいえのべつ騒動に明け暮れして
いたわけではなく、おりおりの和平のあいだに町を美しく飾ったりもした。だが、そう
なるとまた妬みが生じて、あらたな紛争の種になった。このようにして最初の一世代
が過ぎた。つづく世代も同様で、ただ技術が向上し、応じて闘争心が猛々しくなる
ばかりだった。しかも第二、第三と世代が下がるうちに、天までとどく塔を建てることの
無意味が知れわたってしまった。だが、その間にたがいに親密な関係ができて、
いまさら町を出ていくわけにもいかないのだった。この町に生まれた伝説や唄は
どれといわず、予言に語られている日を待ちこがれている。巨大な拳が現れて町を
五たび打ち、こっぱみじんに砕いてしまうという予言であり、だからしてこの町の紋章
には一つの握り拳が描かれている。

「町の紋章」フランツ・カフカ、1916.