俺がダライラマに会う日

俺がダライラマに会う日
澄み切った空の向こうから遠鳴りが聞こえる
ビリヤード状に突かれた宇宙天体から膿がこぼれた
それは細菌ではなく原子力だった
放射能のかなたに
あらゆる透過された事柄が
俺の脳裏に浮かんだ
俺は東北のチベットといわれる
秋田県へ向かった
そこで吉田慶三郎に会った
しょっつる漬けを得意とする農業(53)だ
俺は胡瓜を五キロ渡して四千円を払い
漬け終ったら自宅に郵送してくれるよう頼んだ
帰りに酒田に寄り
金太郎寿司でシャコをたらふく食い
地元の高校生と、豪商本間様と
戊辰のうらみについて語り合った
そして山寺へと車を進めた
俺は回し車を押した
知らない奴の冥福を祈った
ムサカリ絵馬を見た
すでに死んだ夫婦を祝福した
すでに死んだ夫婦から生まれた
決して生まれない子供を養子にもらった
忠孝と名づけた
日ヘンがついていないので早死にする
だがすでに死んだ親に対して
孝行にはげみ
義理の俺に対し利潤をもたらす存在を
たしかに必要としていたことは事実だ
どちらにしろ、誰もいないのだ
誰も彼も
そして皆が手を振る
山寺から変える俺に向かって誰も彼もが
手を振って別れを惜しむ
たったいまおまえとも絶縁したんだ
すでに死んだ夫婦の息子は
死んだ夫婦の下で永遠の一生を過ごす
輪廻はありもしない
お前もいないんだから

いつか俺が永劫の彼方から
地獄であれ天国であれ
チベット高地であれ
手をさしのべようと
おまえはそこにいろ
そこにいるんだ。

なあ忠孝よ
俺は漬物にされる胡瓜じゃない
土蔵に眠りつづけるわけでもない
お前と手をつなぎながら
ダライラマになるはずだった
なるはずだったんだちくしょう